Dorails

日記

意思のなさが人間関係で有利に働く

仕事における衝突のほとんどは基本的に意思と意思のぶつかり合いからくる。
右に行きたいという人と左に行きたいという人がいるから衝突が起こるわけで、2人とも右に行きたい、もしくはどちらでも良いという人がいれば衝突は起こらない。
つまり自分に意思がなければ、こうした衝突をかわし続けることは可能なのだ。

日本ではこうした意見の対立はネガティブに受け止められることも多く、「コミュニケーションがうまい」と言われる人は得てしてこうした対立を避ける術を身につけている。

人間関係に問題を起こさない対立

人間関係に問題を起こさないには、意見を主張せず対立が起こさない方法と、自分の意見を主張しつつ相手を害さないコミュニケーションをする方法の2つがある。
前者と後者は大きく違うが、「コミュニケーションがうまい」という評価はこれらが混合されがちだ。

たとえば自分はスキーサークルに所属していた。
当時スピード出るとビビって停止するのでよく安全運転と言われていたが、3年のときに大怪我をしてしまった。
自分はスピードから避けていただけであり、スピードが出た時の対処法を知らなかったわけだ。

コミュニケーションについても同じで、避けるだけというのはむしろコミュニケーション能力が低いと言えるのではないだろうか。
しかしそうした人は「コミュニケーション能力が高い」と評され、マネージャーとして評価されたりする。

もちろん立場のある人ほど意見を言わないほうがチーム全体としてはうまく機能するため、戦略的にそうした振る舞いをすること自体は否定できない。
しかしそれも対立を解消する能力があった上で選択するなら良いが、能力がなくただ避け続けるための口実になってしまってはだめだろう。

スキルレベルと衝突

対立を避けて衝突が起きないケースのほかに、スキルレベルが足りずそもそも意見が出ないのもある。

たとえば自分が絵画について「この配色は赤と青どちらが良いか」と言われても「青の方が好みだけどよくわからないしどっちでも良いかな…」とになるだろう。
自分に知識や経験があるからこそ意見が出るのであって、能力がなければ意見は出ない。

だからこそエンジニアマネージャーは技術力ない人が技術力ある人の意見を汲み上げる方がチーム全体としてまとまったりもする。
しかしこれも能力不足から対立が起きないだけであって、いざ対立が起きたときに適切に対処できるとは言えないだろう。

立場や責任範囲と衝突

また自分がその領域について責任を負っているほど、どうしても意見は強くなる。
たとえば「1億円この物件に投資します」って言われたところで「自分の金じゃないしお好きにどうぞ」となるが、「あなたの金で」となったら「いや待って、その物件の情報となぜ投資しようと思ったのか詳しく教えて」となるだろう。

シニアエンジニアとして採用されたのであれば「なんでも良いよ」とは言えず、ちゃんとアウトプットの品質が保てる範囲で自分の意見を通す必要は出てくる。

つまり意見の対立を避ける行為は、ある意味無責任だからできるとも言える。

おわりに

私自身業務委託で何社とも関わりを持つ立場であり、一つの会社で強く意見を押し通す必然性も薄まっている。
「AとBという方法があり、A、Bはそれぞれこういうメリットがあります。私はこういう理由でAが良いと思います。」と言った上で、Bを選ぶのはその会社の自由だ。

しかし久々に正社員並みに責任ある立場をすると、やはりどうしても意見を主張する必要性が出てくる場面は出てきた。

同じような視点で周りを見てみると、意見の対立を起こさない人が必ずしもコミュニケーションのうまさからくるわけではないことが見えてくる。

ここは誤認しやすい点であり、かつ非常に重要な点でもあるので、今後意識して区別しようと思う。