映像の時代に人の心がどう変わるか
現代は動画コンテンツの時代と言われている。
若い世代は文字を読むことを辞め、動画で情報を得るようになったという。
単純に考えれば小説・漫画・映画と、絵や音が追加されるにつれ情報量自体は増えていく。
しかし小説原作の映画化を見ると、情報量が少ないと感じることが多々ある。
それは小説・漫画・映画と情報量が増えるにつれ、登場人物の心の声がミュートされていくからだ。
それはより主観的に物事を捉えるようになるとも言えるかもしれない。
たとえば小説ではある風景に対しての心情が描かれる。一方で映像だと描かれるのは表情のみで、それに対してどう感じたかは察するしかない。
登場人物と体験は共有できても、心情までは共有されず、あくまでその風景に感想を抱くのは自分自身でしかないのだ。
そう考えると、小説を読まず映像で育つ世代はより主観的に物事を捉えるようになっているのかもしれない。
別の言い方をすれば、異なる視点を学ぶ機会が薄れる。
となると、現代人はより他者への理解が希薄になっているのではないかという仮説が生まれた。
本当にそうか
もちろんセリフとして「私はこう感じた」「私はあのときこう思った」と登場人物の心情が吐露されることはある。
そもそもテレビが何十年も娯楽を支配し、小説を中心に読んでいる人なんてあらゆる年代で少数派だろう。
とはいえ明らかにブログや本の領域はYoutubeなどの動画メディアに奪われてはいる。
ただ動画メディアのほうが感情が伝わりやすい側面はやっぱりある。
たとえばリモートワークになって文字だけだと感情を掴みづらいので、Zoomで話すようにするなんてのを聞く。
ニュースを新聞で読むより、現地の映像付きで動画で見たほうが明らかに感情移入しやすい。
やっぱり動画のほうが感情が伝わりやすいのかなぁとも思う。
言語化されない領域
普段小説は普段言語化されない箇所が言語化されている面が大きいかもしれない。
人は他人に対して思ったことをなんでも言うわけではない。そうした普段言語化されない面が言語化されるのは小説ならではかもしれない。
一方でニュースや教科書みたいな単なる情報のやりとりであれば、文字のメリットは情報取得が速くできるぐらいか。
となると、登場人物の心情が吐露される小説を意識的に読むのが良さそうだ。