Dorails

日記

弱者バトルと社会の弱体化

自分自身がマイノリティな弱者的側面もあるので、割とリベラル寄りな価値観で育ってきた。

社会全体の幸福が大事だよねって思うし、新卒での経験から過度な競争って幸せなんだっけ?みたいなところもある。

 

一方で欧米を中心にだんだんとリベラル化していく社会に、だいぶ危機感を覚えることも増えてきた。

 

まず社会保障はあればあるほど良いというか、否定しづらい空気感がある。

たとえば「マイノリティ保護のために予算1億円ついてます」ってなっていたとき、それに対して否定はしづらい。

ただ実際中身として本当に意味があるんだっけ?とか、本当に当事者のためになってるのか、その予算を別につければもっと社会のためになってたりしない?みたいな観点もある。

一方で「水産業活性化のための予算」とかであれば「特定産業を優遇するな!削減しろ!」みたいに言いやすい。

結果として長期国家として、社会福祉の予算が肥大化する一方なのでは?という懸念がある。

 

また社会福祉的な価値観が増えると、「弱者バトル」の様相を呈すようになってくる。

つまり「私は弱い!」「私はこんな弱者属性持ちです!」「傷つきました!」とアピールするほど利益を享受できる社会になることで、より弱者を目指すようになってしまう。

結局のところ健全な社会はお互いに上を目指して切磋琢磨する前提があった上で、それでもこぼれ落ちた人は救おうね、ってなるべきだと思う。

一方で社会福祉が行きすぎるとそれが逆転するというか、弱者の座席争いのために下の奪い合いの様相を呈するようになってしまう。

はてブとかはまさにそうで、弱者男性vsフェミニストなんて常にどちらが弱いか、自分がどんなに傷ついてるかを言い争ってるが、これほど不毛なものはない。

 

諜報活動家が敵国の組織を衰退させる「サボタージュマニュアル」というのがあり、「これ日本企業だ!」と話題になったことがある。

同様に仮に自分が敵国を衰退させる役割を担わされたとき、「リベラルな思想を植え付ける」ってやるの真面目にありなんじゃない?って思う。

その価値観は外国人の受け入れにもつながり、その国での諜報活動もしやすくなるわけだし。

ロシアがそうしたリベラル的思想を過剰に嫌悪し古臭い国と思われているが、仮にロシアや中国が敵国に対してそういう戦略をとっていたのなら割と辻褄が合うんだよね。

 

というのもあり、自民一強に危機感があり野党に入れることが多かったが、リベラル政党にも疑問を覚えるようになってきた。

竹下平蔵の思想は行きすぎには感じるが、社会保障ベーシックインカムに内包させるのも割とありなんじゃないかなぁと思う。国民全員が最低限のラインを保証されつつ、その上で豊かになりたいなら頑張ってね、って方向性自体は健全だ。